タイ鉄道新時代へ

【第1部/第15回】政治利用された都市鉄道

過密化、成熟化した現代の都市行政に欠かすことができないものの一つに、渋滞を緩和し、経済の血流を改善させる機能を持つ大量輸送手段としての都市鉄道がある。日本国内でみれば、東京、大阪、名古屋…。アジアでも上海、香港、シンガポール、クアラルンプール…。歴史が証明するように、鉄道の整備が都市経済の発展を大きく支えてきた。ところが、タイの首都バンコクでは1960年代に一気にモータリゼーションが始まったこともあって、長らく交通対策は自動車道路の拡充に重きが置かれてきた。20世紀末にようやく初めての都市鉄道BTS、続いて地下鉄MRTが開業したが、以後の新線建設や延伸は遅々として進まず、世界的にも希な都市構造を顕にしている。その原因をつぶさに観察していくと、タイの社会に特徴的な政治対立や利権の構図が見え隠れする。連載「タイ鉄道新時代へ」の第15回は、政治利用され続けた都市鉄道について。(文・小堀晋一)

タイで初めての本格的な都市鉄道マスタープランが作成されたのは約20年前の1994年。総延長は261.5km。慢性的な交通渋滞が深刻化した末の出来事だった。だが、前回見てきたように、タイ初の都市鉄道となるはずだった「スカイトレイン計画」は民主化をめぐる政治の混乱から間もなく中止に。香港の開発会社による「ホープウェル計画」も財源不足から経営が破綻し幻に終わるなど、ようやく実現をしたのは20世紀も終わろうという99年のことだった。この時、初めてのタイの都市鉄道BTSが運行を開始した。

2001年2月にはタクシン政権が発足。都市問題解決への期待が高まったが、タクシン首相(当時、以下同じ)は票につながらない都市対策には冷淡で、同政権下で都市鉄道計画が策定されたのは3年も経過した04年になってからのこと。総選挙を翌年に控えた時期でもあった。この時、タクシン政権が提示した計画は7路線総延長292kmを、6年間というわずかな期間で完成させるという内容で、夢のような計画にバンコク都民の関心は一気に沸き立った。05年2月の総選挙直前に提示された公約では、さらに9路線354kmに拡大。しかも、全区間の運賃が一律15バーツという究極とも言えるポピュリズム政策(大衆迎合政策)を柱としており、この結果、政権与党は圧勝を収めることに成功した。

だが、非現実的な政策に間もなく財源が伴わないことが判明するなど計画は二転三転。タクシン政権はBTS社とMRTを運行するバンコク・メトロ社を買収して一律15バーツ政策を実施に移そうとするが、運行権者のバンコク都はこれを拒否。都市鉄道を舞台とした政治対立が表面化するに至った。結局、タクシン首相自身がクーデターにより国を追われ計画は白紙に戻ると、代わってスラユット暫定政府が「都市鉄道5路線整備計画」を取りまとめ、総延長は118kmに縮小。建設も既存路線の延伸と環状化が主体となった。ところが、この計画さえも財源の目途が立たずに頓挫。07年に着工するとした当初計画は、何ら工事が始まらないまま御蔵入りとなった。

07年12月の総選挙でタクシン派が再び勝利すると、「政府VSバンコク都」の政治対立が再燃する。サマック政権は08年2月に「都市鉄道計画」を策定。路線は9路線に拡大され、総事業費は500億バーツと試算された。政府はBTS社の買収になおも執念を燃やすが、都は応じる姿勢を見せなかった。すると、サマック政権は新たに建設される区間については既存区間と乗り換えができないよう嫌がらせとも受け取れる指示を出すなど、事態は国民そっちのけの場外乱闘の様相に。結局、サマック首相は憲法裁判所の判決により失職するが、続くタクシン派ソムチャーイ政権によって、その後の延伸区間の建設についてはバンコク都に代わって運輸省が管轄とすることが強引に閣議決定されるなど火種は残ったままだった。

こうした対立・混乱は、続く民主党を中心としたアピシット連立政権下でも続いた。タクシン派から分裂し、キャスティングボートを握っていたプームチャイタイ党(タイ誇り党)は利権の大きい運輸相と内務相のポストを要求、現実のものとした。バンコク都では09年1月からスクムパン民主党知事が誕生し、都市鉄道整備に向けた下地が揃ったかに見えた。ところが、プームチャイタイ党のソーポン運輸相がソムチャーイ政権時の閣議決定の変更を拒絶。アピシット首相も連立維持の観点からこれに応じるほかはないとしたほか、モノレール線として検討されていたイエローラインとピンクラインの閣議決定についても、同様の理由から断念せざるをえなかった。バンコク都が建設の主体となるためにはこうした手続きが必要だったが、都を監督する内務省のチャワラット内務相が議題の上程すら同意しなかった。

こうした中でアピシット政権によって取りまとめられたのが2010年の「バンコク首都圏都市鉄道マスタープラン」(別表参照)だった。12路線、総延長500kmを超える計画は、過去のいずれの敷設計画よりも規模で圧倒した。政府は20年をかけて建設を進めるとした。

11年7月の選挙後に誕生したタクシン派のインラック首相は、アピシット前政権がまとめたマスタープランを基本的に継承するとしながらも、兄のタクシン元首相と同様に集票目的のポピュリズム政策を選挙公約に盛り込んだ。「全区間一律20バーツ」は選挙戦の目玉となった。ところが、選挙後に行われた試算で、これら公約の非現実性が次々と明るみに。例えば地下鉄MRTを全区間一律20バーツに改めた場合、バンコク・メトロ社が運営を続けるためには年間12億バーツもの補助金が必要となることが分かったのだった。

ポピュリズムを最大の政治信条とするタクシン派にとって、一律15バーツや20バーツ政策は公約の肝となり、決して譲れない一線。一方で、単独では絶対多数が取れない民主党にとっても政権を維持するためにはキャスティングボートの意向を尊重せざるを得ず、都市鉄道は簡単には手をつけられない〝聖域〟でもあった。ましてや、バンコク首都圏選出の国会議員の中には〝我田引鉄〟を目論む者もいて、陳情や口利きが常態化するようにもなっていた。

タイの都市鉄道をめぐる20年は、まさに伏魔殿の20年間だった。12年11月にインラック政権がBTS既存2区間の運営についても運輸省主体と変更し、管轄を一元化した後も、事態はほとんど変わってはいない。この20年間で費やした時間は膨大だが、開業した路線は2010年策定のマスタープラン約500kmのうち、わずか84.8kmでしかない。(つづく)

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