タカハシ社長の南国奮闘録
第76話 技能伝承
私は2004年、現場で生産に追われているこれからの職人たちに、真のものづくりの楽しさを肌で感じてもらいたいとの想いから、テクニアカレッジという技術学校を開校した。
創業100周年を迎えるテクニアが培ってきた技能を実習書にまとめ、同社の熟練技能者が、座学および汎用旋盤など実機による実習形式で指導し、自分の腕でものづくりができる喜びや楽しみの体得してもらう。技能者(熟練職人)として社会で活躍する人材を育成し、技能の伝承をすることで、日本のものづくりの発展に寄与することを目指している。
開校から14年を迎え、受講者は600名以上、それぞれが中部地区の金属加工製造業のキーマンとして活躍している。ものづくりの楽しさを肌で感じることが「探究心」へと昇華して、自身で考え、想像して実績を積み、腕を磨き、より精密で質の高い仕事ができるようになる。それはやがて「大きな自信」へと繋がっていく。テクニアカレッジは、職人魂の根っこを磨き、心技を鍛錬する道場である。
私はノコ盤が材料を引く音を子守唄に、工場の油の匂いを嗅いで育った。高校卒業後は飲食店で1年ほどバイトをしながら、どんな仕事に就くか迷っていた。その頃、父の会社でもバイトをさせてもらった。
当時、導入されたばかりのNCボール盤という機械の取り替えを担当していた。コンピューターオタクだった私にとって、職人の穴あけ技を機械が淡々とこなす穴あけの固定サイクルは画期的だった。どんどんのめり込み、いつしか図面を渡されて製品をつくることが出来るようになっていた。
しかし、私はまだ汎用旋盤を触ったことがなく、治具は工場長にお願いしないと出来なかった。当時、旋盤を転がしている工場長は憧れだった。自分も旋盤を使えるようになりたいと思った。
そんなある日曜日の午後、こっそりと汎用旋盤に触った。その時のことはよく覚えている。旋盤を回し始め、見よう見まねで覚えたレバー操作をしてみた。回転数のメモリを低速に合わせた。回転は上がり、送り竿を下ろすとタレットが前に移動した。めちゃくちゃ興奮した。熱中しているうちに、自分で治具を作成できるようになった。とっても嬉しかった。
3代目から会社を引き継いだ私には、大きな課題があった。先代からの職人さんがどれだけ力を貸してくれるかということと、次世代の職人たちに技能を伝承できるかどうかということだ。とても難しい課題だった。
先輩たちは、鉄を削る技術はあっても、ものを教える技術はない。一方、汎用機を触る機会のない今の職人たち。
放っておいても人は育たない。ましてや探究心が自動的に湧くわけがない。そこで休日に、端材を使って指導つきで汎用機を触らせてみた。そこから試行錯誤したのがカレッジの始まりだ。
これまで、いろいろな国のものづくりを見てきた。タイは日本のものづくりをお手本にしている。もちろん、テクニアタイ工場でも技能伝承を行っている。
職人を育てること、そして技能伝承は、タイのものづくりの進化、産業発展、未来のタイの子どもたちの暮らしを豊かにするためにも大切なことだと信じている。