タイ鉄道新時代へ

【第90回(第4部6回)】 悲願の新線コーンケーン~ナコーンパノム線その6

東北部イサーン地方の鉄道空白地帯に敷設される21世紀最初の国鉄新線コーンケーン~ナコーンパノム線は、今年4月から入札書類の配布が開始され、このほど電子入札が実施された。入札の成否や結果については7月半ばにも発表される予定だが、遅滞がなければ年内にも土地収用などが着手される見通しだ。予想を上回るペースで事業が進められることになった背景には、新型コロナウイルスの感染拡大によって低迷する国内経済のテコ入れを進める政府の思惑もある。ラオスとを結ぶ国際鉄道構想の〝復活〟にもつながる新線敷設計画。企画内小連載は、いよいよ目指す終着駅ナコーンパノムに到着する。
(文と写真・小堀晋一)

首都バンコクから北東に約800キロ。ラオス・カムムアン県ターケーク郡に向き合う国際河川メコン川対岸に、タイのナコーンパノム県はある。新石器時代ないし青銅器時代のはるか古代には、両岸一帯にシィー・コタブーンと呼ばれる文明があったとされるが、詳しいことは分かっていない。それから3000年以上、この地が歴史の表舞台に立つことはほとんどなかった。  小船が行き交う片田舎にすぎなかったナコーンパノムが、にわかに注目を集めるようになったのは、フランスがメコン川左岸を植民地化した19世紀末になってから。1921年に策定された仏印開発計画では、ベトナムのハノイ~サイゴン間を結ぶ縦貫鉄道から西に延びる支線がいくつか計画されている。その一つにハティン省タンアップ駅から西進し、ラオス・ターケークに至り、メコン川を渡河する新線敷設計画があった。  ナコーンパノムからは、そのまま西へ進めばタイ国鉄の東北部本線ノーンカーイ線に接続する。一方、タンアップから首都ハノイまではすでに整備されており、わずか約350キロの距離だった。フランスはターケークを経由することで、バンコク~ハノイ間を最短距離で結ぶ鉄道輸送路を建設しようと考えた。  だが、29年の世界恐慌によって計画は頓挫。ベトナム国内の一部で着工されたものの、ラオス国内やナコーンパノム周辺では測量などが行われただけで計画は白紙に戻されることになった。その後はタイ国内で立憲革命(32年)が起こったこともあって構想はさらに後退。再び日の目を見るようになったのは第2次世界大戦後の冷戦期になってからだった。  1960年代後半、ベトナム戦争に参戦した米軍は、ラオス国内のホーチミン・ルートを爆撃する必要からタイ東北部に拠点を構えていた。北ベトナム軍を撃つための有力な前進路の一つが、ナコーンパノム周辺で渡河するルートだった。米軍はここからラオス国内に兵士や軍需物資を送った。タイ側には、軍の拠点や難を逃れたベトナム人らの難民施設が点在した。この時も鉄道建設構想が浮上したが、結実することはなかった。戦後も財政難から見送りが続いた。

ナコーンパノム県発のニュースが三たび全国中継されるようになったのは、2011年に第3タイ・ラオス友好橋が開通し両岸が〝地続き〟となってからだ。ノーンカーイ~ビエンチャン間の第1、ムクダハーン~サワンナケート間の第2に次ぐ渡河橋で全長は780メートル。タイのゼネコン最大手イタリアンタイ・ディベロップメントが約17億バーツ(約57億円)で建設した。5つある友好橋で2番目に短いが、南北に長いラオスの最狭部を通ることでベトナムに最も近いのが特徴だ。かつてのフランスもここに着目した。  こうした地の利から、近年、第3友好橋を経由した新たな商業輸送路の開拓が民間によって進められている。タイ資本のほか日系や中国系のロジスティック企業が入り乱れての顧客争奪戦が繰り広げられている。いずれも背後にあるのは、タイを拠点に周辺国との間で進む「タイ・プラスワン」。新しい市場ニーズが、東北部最深部の未開の地を変えようとしている。  ムクダハーンを発った列車は、車窓にメコン川を見ながら2時間半余りを経て終着駅ナコーンパノムに到着する見通しだ。現時点での延伸の予定はなく、メコン川を渡る計画もない。だが、この地には、1世紀を超える渡河鉄道の構想が浮かんでは消え、消えては繰り返す歴史があった。  第3友好橋も鉄道の敷設を前提とはしていない。実現とならば橋の新設が必要となるだろう。ラオスの開発も遅れている。建設は非現実的と見るのが妥当だ。だが、それでも消えることのない国際鉄道構想。鉄路にかけるロマンが人々を虜にしている。(つづく)

2021年7月1日掲載

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