いざThailand 4.0へ   着々と力をつける精密部品メーカー

バンコクから東に向かうと、アマタシティ・チョンブリ工業団地を過ぎてもタイの部品工場が多く、中には日系や韓国、中国系の金型工場などもある。あるタイ資本の工場では「東北部イサーン出身者を中心に、約160社もの中小企業と協力して仕事を融通し合い、足りない機械や測定機器を借りるなどして助け合っている」と話す。

2年程前、精度が高い部品を製造するタイ企業約26社が、工業省やTGI(タイ・ドイツ協会)などの協力を得て、「TM4SC」(Thai Manufacturing 4.0 Solution Cluster)という名のワンストップサービスセンターを立ち上げた。TM4SCはチョンブリ県パントン市内のNOWABUTRプレシジョン内にあり、同社のサンティ(Santi Huadsri)社長が初代会長を兼務している。サンティ会長はTM4SCについて「工場の自律化と技術継承を図るスマートファクトリーに向けて取り組んでいきたい。タイ政府が進めるEEC(東部経済回廊)地域内にある我々会員企業がまずは協力し合う必要がある。そして日系大手からの受注増も目的。日本企業と我々タイ企業は責任感が強いもの同士だからビジネスを進めやすい。日本人と長年お付き合いしてきて、日本人とタイ人はまったく正確が似ている」と説明する。

同会長は三菱電機と関係が深いタイの上場企業に勤務経験があり、タイ政府派遣の技術研修で2年間、日本に滞在したこともあるという。NOWABUTRプレシジョンには新品の5軸加工機2台をはじめ、MC14台、CNC旋盤22台等があり、ほとんどがMAZAK製。「MAZAKのバンコクのショールームよりも、新鋭のMAZAKの機械がそろっている」とサンティ会長は自慢気。日系大手自動車向け検査冶具やクボタ向けシリンダーなど日系向けを中心に、米国エアロスペース社向けの高精度部品も手掛けている。

写真・文 アジア・ビジネスライター 松田健

無一文での技能実習経て精密部品メーカー起業

「TM4SC」設立当初からのメンバーの一社で、日本企業と話し合う時には日本語の通訳も務めているのが、TM4SCのマーケティング部門の責任者を務めるパッタナー・プラチャイブン(Patthana Phrachaibun)氏。パッタナー氏は2013年に航空機用部品を含む精密金属部品を製造する純タイ企業「開発改善エンジニアリング」を立ち上げた。アマタシティ・チョンブリ工業団地近くにあるローカルの工場団地内の貸工場の一角で、「(株)開発改善エンジニアリング」という日本語と、「ボリサット(会社)カイハツ・カイゼン・エンジニアリング」とタイ語で表記された看板を掲げて、事業を営んでいる。

TM4SCでは頻繁に技術セミナーを開催しており、最近では3月末に海辺のサタヒップホテルで「精密金型セミナー」が3日間にわたって開催され、パッタナー氏も参加した。パッタナー氏は「TM4SCのメンバーとはスマホアプリの『LINE』でグループを作って常時情報交換も行っている」と語る。

パッタナー氏は東北部ロイエット県の電気も来ていない貧しい農家で育ち、親元から学校に通ったのは小学校まで。12歳の時に父親から100バーツだけをもらって家を出て、最初はお寺の小僧になった。そしてさまざまな仕事を経ながら、工業専門学校の通信教育で機械や電気を学んで高校卒業資格を得たという大変な努力家。今でも父親はもち米を生産している。

その後、外国人技能実習生の受入大手、国際人材育成機構(アイム・ジャパン)による技能研修で3年間日本に行った。タイを出国した時、パッタナー氏の所持金は総額数百バーツだけだった。日本で日本円に両替しようとしたら「そのような少額では両替してもらえず、結局、日本でゼロから始まりました」とパッタナー氏は振り返る。

日本に到着後、まずは千葉県幕張の施設で1カ月間の研修を受けた。その後実習先として決まっていた建設機械レンタル大手アクティオで技能実習が始まり、同社の栃木県にある支社に2年間、香川県の支社で1年間実習をした。
タイに戻ってからはバンコクの高専で電気を学び、土日はバンコクのスワンスナンター大学に3年間通って工業マネジメントを学んだ。「いつか大学院に入ってMBA(経営学修士)を取ります。さらに博士コースへも進みたい」と意欲を見せる。

起業した契機についてパッタナー氏は「日本からタイに帰国して1年間ほどアイム・ジャパンのタイ事務所で働き、日本から度々来られる栁澤共榮会長にお会いするたびに『小さくてもいいから会社を作って社長になれ』と言われていました。次第にその気持ちになり、日本に行く前に金型工場で働いた経験に、日本での技能実習で得た知識を加えて起業しようと決断しました」と明かす。日本で学んだ開発、改善を忘れないよう、その言葉を入れた「ボリサット(会社)カイハツ・カイゼン・エンジニアリング」と社名を決め、商務省に会社登録。技能研修からタイに戻って5年後、現在の地に起業することができた。

自前の新工場建設やプレス工場買収も計画

現在の「開発改善エンジニアリング」では農機具のクボタ向けは直接と間接受注が続いており、プラグメーカーのNGK、金型のBHKTなど30社ほどの顧客の多くが日系企業。航空機部品は米国エアロスペース社のタイ工場向けに、航空機の座席の金属部品を受注生産している。バンコクの高架鉄道BTS向けもシンガポール経由で複合部品として受注している。センサー部分で使われる丸いプラスチック製の精密部品の切削や複合部品にするアッセンブリも内部で行っている。

3年前の従業員数は13人だったが、現在は25人と急拡大。工場近くの複数の候補地の中から4ライ(6,400平方メートル)の土地を近く契約して、2021年稼働をめどに初の自社工場を建設し、従業員のアパートやパッタナー氏の自宅も同じ敷地内に建てる予定。「この新工場のスタート時点での従業員は50人規模となりますが、将来は1,000人規模の工場を目指したい」とパッタナー氏は事業欲を高めている。

さらに近所にあるローカルの金属プレス専業の工場を全面買収してグループ会社化する話し合いが最終段階にあるという。その工場ではコマツの45、60、80、110トンプレスが稼働しており、「買収が正式に決まれば150トン、300トンのプレスも新品か中古で購入する」とパッタナー氏は語る。

これまでに5台導入しているMC(マシニングセンター)はオークマ製などほとんど日本製。米国生まれで三菱電機との関係も深く、現在は台湾の台中に本拠を置くAKIRA精機のMCに関しては「日本製と変わらない精度が出せるだけでなく加工速度も速い」と評価して導入した。CNC旋盤では、昨年12月に導入した新品のMAZAKを始め、高松機械工業の3台、DMG森精機などの7台が稼働中。ツガミ、ニッコーの研削盤も導入している。今年はソディックのワイヤカット放電加工機を新品で導入する予定で、初めて工場内に冷房付きの部屋を作って同機を設置する。従来はパッタナー氏が5%を出資しているワイヤカット専門の工場に外注していた。

資金難乗り越え事業を拡大

パッタナー氏は経営者になってからの苦労に関して、「一言で言えば、工場経営は当初想像していた以上のおカネがかかるということ。銀行はおカネがある人に貸し、無い人には貸してくれない」と話す。2007年12月に技能実習を終えてタイに戻ったパッタナー氏には600万円の貯金ができていた。その内の200万円を使い、電気もなく古くてつぶれそうなロイエット県の実家を新築して両親を喜ばせた。通訳などとして懸命に働き続け、チョンブリ県に2軒の家も買い、1軒を賃貸に出した。この不動産は起業後に銀行から借金して高価な機械を買う際の担保になったが、創業した翌年に遭遇した経営危機時にローンが支払えず銀行に没収されてしまったという。ところがその後、経営が好転すると「今度は銀行の方からおカネを借りないか、貸したいなどと誘ってくるのです」と、銀行の手のひら返しに苦笑いする。

もう一つのピンチは創業当初に工場で使っていたソフトウェアの一部が違法コピーだとして警察から突然摘発されたこと。「罰金の支払いと正規ライセンス付のCAD(コンピュータ支援設計)の購入で、新品機械が3台は買えるほどの予定外の出費となって慌てました。警察は『開発改善』の会社名からおカネがある日本企業だと勘違いして乗り込んできたのかとも考えてしまいました」という。そして警察からの勧めもあって米国製の2次元CADとシーメンスの3次元CAD/CAM(コンピュータ支援設計/製造)を導入した。正規導入したシーメンスのNXはハイエンドのCADとして定評があるため「日本の顧客から当社に対する信頼度が高まって結果的にはよかった。もう二度とコピーソフトは使いません」とパッタナー氏は戒めている。

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