インド人経営で航空機産業に参入 首相も期待するタイ企業CCS

タイ政府は産業の高度化を進めて「中所得国の罠」を回避し、2036年までに高所得の先進国入りを目指して「タイランド4.0」に取り組んでいる。次世代自動車、スマート・エレクトロニクス、ロボットなどのオートメーションといった10の重点産業を育成していく方針で、プラユット首相自ら先頭に立っている。そして航空宇宙分野もこの中に含まれている。

航空機部品製造を手掛ける唯一のタイ企業として、タイ政府から大きな期待を寄せられているのが、ノンタブリ県にあるCCSグループ。1980年に華人系タイ人であるブーンジャラーン・マノブラチャイラート氏(故人)が創業した。アジア金融危機の直後である1997年11月、ブーンジャラーン社長自らタイの外資企業で働いていたインド人をスカウトしてCCSのCEO(最高経営責任者)に据えたことが、同社が航空機産業進出に成功したきっかけだった。そのインド人が現在でもCEOを務めるケタン・ポール氏。

BOI(投資委員会)では2017年2月に「オポチュニティータイランド」と題する大セミナーを開催し、プラユット首相も約1時間の講演を行ったが、ケタンCEOも同セミナーで講師を務めた。CCSはケタンCEOが就任してから、かつては考えもしなかった航空機部品製造にケタンCEOの主導で進出、現在までに航空機向けに限っても約700部品を製造している。また、CEO自ら航空機以外の欧米大手企業から受注を相次ぎ獲得し、97年から10年間で売上高を10倍以上、97年に約90人だった従業員数はこれまでに1,200人を超える企業に成長させている。過去に何度も同工場を取材してケタンCEOにも単独会見をしてきた。CCSの成長経験はタイと日本の中小企業にも大いに参考になるはずだ。

 

 

 

一下請け企業から航空機部品メーカーに変身

1997年までのCCSはタイのミネベアの下請け企業だったが、現在までに世界の大手を中心に約500社の顧客を抱えるようになっている。ケタンCEOが欧米大手企業への営業を手掛けてきた結果、ベアリングのティムケン、P&G、ジレットといった欧米の大手企業向けの売上高が7割を超えている。NSK(日本精工)米国向けにも出している。

華人のオーナー経営者が自ら育て上げた会社の経営を、インド人に任せるなどというケースは聞いたことがない。人を見る目があったブーンジャラーン社長は2016年12月に交通事故に遭遇し、75歳の生涯を閉じている。同氏の子息もCCSに勤務しているが、今後もケタン氏がCEOを続ける。

ケタンCEOは西インドのマハーラーシュトラ州都ムンバイに近いプネの出身。大学で機械工学を専攻、1984年から4年間はインドに進出しているドイツの合弁会社で宇宙ロケット、原子力関係を担当し、その後、インドに進出してコマツとの合弁もある米のディーゼルエンジンメーカー、カミンズの工場でマネージャーを務めながら「インドの外に出て働きたい」と考えていた。その頃、日本と関係が深いタイのAIT(アジア工科大学院)の修士コースで学んでいた従弟から「AITがベルギー援助の5軸のCAD/CAM(コンピュータ支援設計・製造)のプロジェクトで募集している」という情報を得て、さっそく応募して採用された。AITで1年働いた後、アユタヤにある米系半導体企業に転職して1993年から97年まで勤務し、ブーンジャラーン社長のスカウトでCCSグループに移った。これまでにタイで4半世紀を過ごしてきた。

ケタンCEOによればCCSの中で現在、航空機向けの比率は18%。2017年はCCS全体で売上高5,500万米ドルを見込んでいるが、その内で航空機向けは1,000万米ドルの見込み。しかし「航空機向け部品生産は5年以内に年商5,000万米ドルと現状の5倍に拡大したい。今後、メギット、ムーグ、ETN、UTC(ユナイテッド・テクノロジーズ)を通じてMRJ(三菱リージョナルジェット)向けの量産が決まれば達成できる。UTCを通じMRJ向けの最初の部品納入は終えているが、MRJの設計変更で大量生産が遅れている」とケタンCEOは説明する。

航空機用の部品製造はタイ全体としてはミネベアのロップリ工場、米国のトライアンフ、イギリス系、オランダ系など5社あるが、タイ企業としてはCCSだけ。航空機部品メーカーになれた背景についてケタンCEOは「世界の航空機メーカーに納得される体制づくりに力を入れたから」と言う。2005年に米国の航空宇宙製造会社の調達部門、購買部門及び、品質部門の役員らがメンバーの委員会で作成された航空宇宙製造規格「AS 9100」認証をタイ企業として初めて取得、同年にグローバルなERP(企業の情報管理統合システム)であるSAPパッケージもタイ企業として初めて導入した。

 

工具メーカー買収で社長ごとCCSに移籍

約1,200人いるCCSの従業員にはインド人が42人含まれており、フィリピン人13人、マレーシア人と中国人も働くなど国際色が豊か。インド人はマシニングのスペシャリストが中心で、300台を超えるハイテク機械の操作などを熱心にタイ人従業員に指導している。

インド人とフィリピン人は英語が上手な点で共通しているが、CCSの航空機部品部門にはフィリピン人はおらず他の部品製造に従事、インド人が航空機向け製造の機械のオペレーターとして30人ほどいる。インドで航空機関連産業が増えていることから経験者が多いという。CAD(コンピュータ支援設計)担当は全員がタイ人で、「チームリーダー」を兼務するケタンCEOの下に工場全体で約40人の「セクション・チーフ」(他社でマネージャーにあたる)がおり、その内37人がタイ人でインド人は2人だけ。

「日頃から優秀なインド人を私の人脈から口コミで得たいと考えて活動しています。インド人の能力を買って採用しているのですが、インド人の性格として何でも知ったかぶりをする。インド人はまったく使い難い」とインド人であるケタンCEOがもらす。

CCSに導入している高級機械で使われる工具の多くは内製している。責任者のタン・テアン・フアット氏はマレーシア人で、元はペナンにあった工具メーカーのオーナー社長だった。ケタンCEOがペナンを訪問した時に知り合い、2003年に自社工場をCCSに売却、機械とともにタン氏自身もCCSの工場に移った。エンドミル、ドリル、リーマなどの他、特殊工具の生産もしており、CCSの生産合理化、コスト削減に大きな寄与をしてきた。工場で使った工具の再研磨も行う。「CCSで14年だが、今も好きな仕事が続けられて本望」とタン氏は若手タイ人の技術指導に余念がない。

CCSに続く第2のタイローカル航空部品メーカーが生まれる可能性についてケタンCEOに聞いてみたが、「航空機向け部品製造は何か間違えれば1,000万米ドルといった罰金が科せられ、リスクが高いビジネスだと日本企業も位置付けているでしょう。ムーグから受注できる条件の1つは年商2,000万米ドル以上の企業です。航空機部品は量産といっても自動車向けに比べると少量で、数個といった注文も多いです。このような敷居の高さから航空部品産業にタイ企業が新規に参入することは極めて難しい」と懐疑的だった。

CCSに導入されている高級機にはドイツ製が多く、スイスのハウザーのジグ研削盤やアジエシャルミーの放電加工機など日本製より高い機械が多数導入されている。この点についてケタンCEOは「日本製を入れたいと最初に考えるケースが多いのですが、『ホワイト国』ではないタイへ高級機を輸出する際は日本の経産省の許可取得が日本の機械メーカーに義務付けられており、膨大な書類が必要とされます。私がバンコクの日系工作機械メーカーに問い合わせると、『審査に3カ月かかります』などと言われ諦めることがほとんどです。3カ月なんて待っていられません。その間に我々のビジネスチャンスが消えますから。だからほぼ同性能の機械をすぐに納入してくれる欧州機械を買わざるを得ない」とこぼす。

そしてさらに「先進国間で取り決めている規則はドイツやスイスと日本は同じはず。日本の民間の航空宇宙産業が日本政府による手厚い保護を受けているので、CCSは日本の同業社と対抗できないでいる一方、日本の工作機械メーカーが欧州製機械と対等に戦えるような支援をなぜ日本政府はしないのか」とケタンCEOは不思議がる。

アジアジャーナリスト 松田健

  • Facebook
  • twitter
  • line

関連記事