SUGITOH OPTICAL (THAILAND) CO., LTD.

創業112年の伝統誇る光学メーカー 唯一の海外法人で人が育ち積極経営へ

高精度の光学製品メーカーである杉藤は1906年(明治39年)に創業し、112年もの歴史を持つ。硝子研究に力を注ぎ、今日までに光学レンズ、プリズム、特殊レンズ、ルーペなどのガラス製品、さらにマクロズームレンズ、マイクロスコープなど各種スコープ、検査機器等の光学製品・部品、光学レンズパーツキットなど幅広い範囲で自社製品を開発して製造販売。規格外の製品や試作品の製造にも応じている。初の海外工場として1993年にタイに進出し、杉藤オプティカルタイランドを設立。タイ人の人材が育ってきたことを背景として最近、タイでの新製品開発、営業にも取り組み始めた。今回、杉田忠清(すぎた・ただきよ)社長にタイ工場でインタビューした。

 

タイで多様な精密ガラス製品を製造販売 

初代社長である故杉田藤太郎(1884年=明治17年生まれ)氏は1906年に倭屋森川惣助商店(現ヤマト科学)から独立、東京の中央区日本橋本石町に杉田玻璃器械店(現杉藤)を設立し、医療硝子器等の販売を始めた。早くも1915年には理化学用硝子器械を光学機器業界として初めて大量に米国、イタリアなどに輸出したという歴史も持つ。戦時中には旧日本陸海軍向けに羅針盤メモリ、「零戦」の水準器なども製造していた。

このような伝統を誇る杉藤のタイ工場はバンコクから車で1時間ほど西に向かったサムットサコーン県マハチャイにある。マハチャイは漁港がある町として有名で、日系大手の水産業も進出しているが、精密部品を製造している日系企業は同社の他に聞いたことがない。ミャンマーからの出稼ぎ労働者が多く、ミャンマー人専用の市場もあるほどで、同社でもミャンマー人従業員2名が勤務している。

現在、タイで製造しているのはセンサーレンズ、内視鏡用のレンズ、眼科で使う光学機器のレンズ、理化学硝子や航空写真用レンズなど多種におよぶ。万単位といった量産は引き受けず、100~200個、5000~1万個ほどのロットのレンズを受注し、1~2カ月ほどで納入して いる。納入先はAGC、ホヤ、ニコンなどタイの日系大手メーカーが60%で、日本への輸出が10%、ドイツの有名な光学機器メーカー向けが30%を占めている。原料のガラスは顧客の指定により、産業用ガラスメーカーとして著名なドイツのショット社の白板(B270)を筆頭に様々な硝材を取り扱っている。

タイ政府投資委員会(BOI)の奨励事業に含まれる業務内容だが、あえて投資申請はせず、今後もBOIの認可を受けない予定だ。その理由を杉田社長は「BOIの認定を取得すると材料購入、スクラップ処理などあらゆる面で手続きが複雑になります。タイ工場では、日本で償却が終わりすぐに利益が出せる中古機械などを輸入して使っていますが、投資奨励企業になれば中古機械の輸入も難しくなり、BOIの法人税減免制度にも魅力を感じません。タイで仕事する限り、決められた税金はキチンと支払ってやっていきたいと考えています」と説明する。

タイ工場設立は、杉田社長が馴染み客として通っていたタイ料理店で働くタイ人従業員の勤務態度の良さを知り、タイを見たいと考えて現地調査に出かけたことがきっかけだった。マハチャイはタイ料理店で働いていたタイ人女性の出身地で、杉田社長は彼女の薦めでマハチャイを訪れ、すぐに気に入った。日系企業が多くて進出すれば何もかもが高い工業団地がそばにない。物価も安い。杉田社長は「貸工場の家賃、人件費を含め全経費で月15万円という広告宣伝費程度の予算でモノづくりができそう」と判断し、マハチャイの貸工場を借りた。そしてタイ料理店で働いていたタイ人を含む3人のタイ人を最初に採用した。レンズを製造する機械は償却済の機械だけを日本から送った。平面研磨、球面研磨、偏光フィルム貼付け、穴あけ加工などで稼働している機械はすべて中古機。製品を測定する測定器だけは新品を導入している。最初に採用した従業員は現在も幹部従業員として働いている。

工場がある地域は台湾系の工場が目立つマハチャイの工場アパート地区。そこで拡張してきた現在の工場が再び手狭になっており、拡張先を探している。ただ、従業員の通勤に影響を与えない近隣でしか拡張しない方針。現在のタイの従業員数は73人で、女子は48人。定着率がよく辞める人はほとんどいないという。土曜も出勤日で、忙しい時期には日曜の休日出勤もたまにある。優秀な従業員を日本に1週間の研修旅行に送る制度を5、6年前から開始。毎年5人ほどを選んでいる。年1回、泊りがけの社員旅行も実施している。

 

本格営業と新製品開発をタイでスタート

112年続く杉藤を率いる杉田社長は「小さくても末長く」をモットーに経営を進めている。企業を大きくすることを目標とはせず、堅実にそして完全な無借金経営を今後も続けていく方針に変わりはないが、「タイ工場で人が育ってきた」と感じるようになり、タイでは積極経営に切り替えつつある。

タイ工場では2015年末に光ファイバー加工を開始。2016年には反射防止膜の成膜を行う真空蒸着機の導入など、事業を徐々に拡張してきた。タイの従業員の技術レベルが「中から上のレベルになってきた。レンズの研磨も日本並みになった」(杉田社長)と見て、タイでも新製品の独自開発を目指すことを決めた。このため、初めて大卒者を4人採用した。CAD(コンピュータ支援設計)や電気を専攻した人などで全員が女性。従来は中卒か高卒を口コミで採用していた。杉田社長はタイ工場で新製品のアイデアを模索中。杉田社長はほぼ1カ月おきにタイに来ており、不在時は大坪政徳(おおつぼ・まさのり)工場長(35歳)に任せている。

さらに、バンコクのBTS「ウォンウェンヤイ駅」前のオフィスビルに8月から事務所を構え、タイ人従業員4人を常駐させ、ローカル企業と日系企業を対象として本格的な営業を開始した。杉藤は日本では関連の産業見本市などに出展しているが、杉藤オプティカルタイランドとしては初めて、9月12日から14日までバンコクのバンコク国際貿易展示場(BITEC)で開催されたライフサイエンス、バイオテクノロジー機器 、各産業分野の計測・検査機器等の国際見本市「THAILAND LAB INTERNATIONAL」に出展している。

日本本社とタイの社長を兼務する杉田社長はまだ2代目社長。それは杉田社長が、初代社長杉田藤太郎氏の60歳の時の子供のためだ。会社名である杉藤は杉田藤太郎氏の頭文字。「硝子と共に七十年の歩み」という題で本も遺している。初代社長が執筆中に病床に臥し、帰らぬ人になってしまった数年後に出版されている。同著の前文を書いた人は初代社長について「後継ぎ(現社長)が晩年の子なので成人して社業に就くまでは死ねない」「11歳の時からガラスに終始して生きてきた経験を本にしたい」と常々語っていたことなどを紹介している。杉田社長は「この8月で75歳になった。社長の座は近い将来、48歳の娘(石井敦子専務)に譲るつもりだが、私はその後も会長に留まってライフワークである光学製品の設計をこの世を去るまで続けるつもり。娘の次は孫を社長にしたい」と話す。

杉田社長は中学、高校は鎌倉市の鎌倉学園を卒業し、法政大学では経済を専攻。健康法は歩くことで、5~6年前には東海道五十三次を半年ほどかけ、区間を分けて完歩した。タイでは居住しているコンドミニアム付属のフィットネスに通っている。趣味は写真撮影と観光旅行。近年ではインドやミャンマーを1人で訪れた。大規模開発計画があるミャンマー南部のダウェイへ行った際、杉田社長がハイテク部品を製造する会社の社長だと知った地元政府要人が投資を呼びかけたが、「道路も無い現状ではまだ投資はできたない」と杉田社長は応じなかったという。

(アジア・ビジネスライター 松田健)

会社情報

会社名 SUGITOH OPTICAL (THAILAND) CO., LTD.
住所 38/122-123 Moo 8 T.TASAI A.MUANG SAMUTSAKORN 74000
お問い合わせ先 Tel:66-34-827-222 Fax:66-34-827-224 
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